Friday, July 21, 2006

シャネル(CHANEL)

シャネル(CHANEL)は、ココ・シャネル(Coco Chanel、1883年8月19日 - 1971年1月10日)が興したファッションブランド。「古い価値観にとらわれない女性像」がブランドポリシー。略歴1910年 - パリのカルボン通り21番地に「シャネル・モード」という帽子専門店を開店したのが始まり。

1913年 - リゾート地ドーヴィルに第1号のモードブティックを開店。 1915年 - ビアリッツに「メゾン・ド・クチュール」をオープンして、ココはオートクチュールのデザイナーとして本格的にデビューする。 1916年 - 第1回シャネル・オートクチュール・コレクションを発表。安くシンプルで着心地がよく、無駄のない、ジャージー素材を取り入れたドレスが話題となる。 1921年 - 本店をカンボン通り31番地に移転。シャネル初の香水「No.5」を発表。 脂肪族アルデハイドを大胆に使用した香調で話題となる。
「No.5」は試作品番号。 その後も、喪服でしか使われなかった黒い服を「リトル・ブラック・ドレス」として発表したり、 ツイード素材のスーツを発表して話題となる。 1939年 - 第二次世界大戦の勃発とともに、香水とアクセサリーのブティック以外の全店を閉鎖する。 1944年 - ココがナチスドイツによるフランス占領中を通じドイツ軍将校と愛人関係にあったため、連合軍によるフランス解放とともにスイスへの逃亡を余儀なくされる。 1954年 - 閉鎖店舗が復活。カンボン通りの店を再開し、オートクチュール・コレクションも復活させる。 1970年 - 香水「No.19」を発表。 1971年 - 住居としていたホテル・リッツで、ココ・シャネル死去。 その後、カール・ラガーフェルドがデザイナーに就任。ココのスタイルを守りながら、時代の空気を取り入れた新しいシャネルを提案し、ブランドとしての再興を果たす。 2001年 - 日本最大の売り場面積を誇る東京・表参道店を開店。 2004年 - 12月、銀座3丁目に銀座シャネルビル・旗艦店を開店予定。

シャネルと宝石ココ・シャネルには、宝石は宝石商が作るもの というポリシーがあり 近年まで同社では 貴石を使用したジュエリーは製作しないと言う方針を採っていた しかし90年代後半 今までのイミテーションジュエリー(模造品という意味ではなく 宝石を使用していない と言う意味のイミテーション)ではなくファインジュエリーの 販売も開始した

ココ・シャネル(Coco Chanel, 本名:Gabrielle Bonheur Chanel, 1883年8月19日 - 1971年1月10日)は、フランスのファッションデザイナー。

生い立ちフランス南西部オーベルニュ地方ソミュールの救済病院で生まれる。12歳の誕生日を迎える前に母親が他界し、孤児院や修道院で育つ。「ココ」は愛称で、お針子として孤児院を出た後、歌手を志して田舎町ムーランのキャバレーで歌っていた頃に、そこで歌っていた「コ・コ・リ・コ」(コケコッコウ)と、「キ・カ・ヴュ・ココ」(誰かココを見た?)と言う歌の題名にちなんでつけられたもの。その後パリへ移り、奇抜な衣裳で社交界に潜り込み著名人と親交を広げた。デザイナーとして成功し、のちに有名な「シャネル・スーツ」を発表するなど1930年代後半にはモード界の中枢に躍り出る。

対独協力者第二次世界大戦中にフランスがアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツ軍に占領された際に、レジスタンスとして多くのフランス人がナチスによる軍事占領に抵抗した結果、捉えられた末に拷問されたり、戦闘によって命を落とす中、シャネルはナチスの将校と愛人関係を結び裕福で自堕落な生活を送った。このことから、1944年のシャルル・ド・ゴール将軍率いる自由フランス軍と連合軍によるフランス解放後に、対独協力者としてフランス中からの非難を浴びて、愛人とともに戦後の数年間スイスのローザンヌへ脱出し亡命生活を送った。この様な経緯から、現在も「裏切り者」であるシャネルを嫌うフランス人は多い。